映画 プロジェクト・ヘイル・メアリー
ずっと楽しみにしていたプロジェクトヘイルメアリー、公開日に見たよ!
異種族バディ映画に振り切ったエンターテイメント作品になっていて本当に良かったです。
動くロッキーがとても魅力的で大好きになりました。ほぼパペットで撮ってる感じなんだよね? かわいい!
宇宙船に押しかけてきて暴れ回るロッキー「汚い! ゴミ捨て場?」「急に来るからだよ!」みたいなやりとり、一人暮らしの大学生とおかんすぎてかわいかった。
「人の宇宙船に勝手にボールで入ってきて歩き回らない!!」と急に中学教師になるグレースが好き。
ここでグレースが「2人で星を救うけど、それぞれ別の存在だし役割も違うし境界線(バウンダリー)を引こう」と諭すシーンあるけど、
グレースは心理的境界線の話をしてるけど、ロッキーはそれを物理的境界線と受け取って宇宙船のなかに自分のスペースを作ったという可能性がありませんか? と思って萌えた。
燃料を分けると申し出たとき、グレースがハグを求めて「ハグはいつまで?」「心に聞け」「じゃあ今」「違う」「わ、わ、違う、はい」みたいになったところ好き。このあとハグするときはこなれてるの好き。
アストロファージを採取したあとの「生物だ! 生物が原因だ!」と暴れながら自分の通路を転げ落ちるところ好き。
・グレース、ゴズリン演じるグレースはすごく良かったね! コミカルでかわいい役でした!
おしゃべりで虚無を隠して空回りしている男で好きです。地球でも宇宙でもマジレス侍の相棒(ストラット、ロッキー)がいて良き。よかったね。
ゴズリンがひっくり返った声で「キャー!」て言うの大好き。寝癖ボサボサ科学教師本当にありがとう。宇宙服の中で眼鏡ずれてるのとかほんまにありがとう。
キャラ付けにしてもさすがにギルティやろとおもったグレース君の浅慮行動
・正体不明の宇宙船から投げられた異星由来の物品を素手で触ってひねって開ける
・トンネルでヘルメット外す
→プロメテウス/エイリアンコヴェナントだったら死んでますからね。しかし、リドリースコット監督作品ではないので死なないのだった。
ライアン・ゴズリングって、キャラクターの根幹に”虚無”がある役をやるのが上手いんだけど、グレースは科学教師として立派にやっているけれど、アカデミアへの未練がある虚ろな存在なんですよね。
そこをストラットに刺激されて巻き込まれていくの、なろう小説みたいだな、でもゴズリンって巻き込まれ型主人公ではじまって、最終的には決断できる男なんで……(?)
ライアン・ゴズリング演じるグレースの根幹にある”虚無”がかわいい岩の形をしていて本当に良かったなと思います。
ラストの授業シーンで手を叩いてエンドロールに入るシーン好きなんだけど、ゴズリンが手を叩くシーン計3回あり(多分)、Three is A Magic Numberという信条を持っているわたし的にはとても嬉しかったです。
”天丼は3回まで”みたいな信条をThree is A Magic Numberでまとめるんじゃない。
・ストラット、かなりソフトな描かれ方でしたね。強大な権力を持つ人が、大きな体を持っていたり、ビシッとしたスーツ姿だったり、威厳ある声で話したりしない、というのはすごく良かったなと思う。
小さな声で話すというのもまた、周りをコントロールするための一つの方法なのですが(周りがその人に注目しないといけないため)、そういうふうに見せない程度にはソフトなキャラ付けになっていたね。
もしかすると原作を見ていないとストラットがアストロファージに関することで国をまたがって権力を振るうことができる女だとは思わないんじゃないかなと思う。
ソフトに描かれてはいるけれど、こうと決めたことを必ず遂行する女なので、ストラットが穏やかな声でグレースに「”説得”はしない。でも、私たちがこれからすることを”説明”させて欲しい」というシーン、本当に怖くてこの人はストラットなんだなと思えたのでとても良かった。
わたしは、グレースが無様に棚とかに乗ってわちゃわちゃと走って逃げるシーンは好きなんだけど、彼が命乞いをする相手はストラットが良かったと思いました。
映画オリジナル要素として存在した、グレースからの情報を受け取るストラットのシーン、うれしいですねの気持ちと共に、
砕氷船の上にいるのは南極を破壊しに行っているという小説読者への目配せなのでは? という話を、オタクとしました(原作読んでいなければ地球が氷河期に入った?とかしか思わないんじゃないかなと)
・メリル・ストリープがエンドロールにあってめちゃくちゃウケました。インタビューで結構ノリノリで何パターンも声を録音してくれたとというのがあり、非常に良かった。
〈上映形式〉
IMAXレーザーGT上映で見てから、SCREENX上映でも見ました!
家に帰ってから家族氏に「吹田市で映画見た後で、箕面市に移動して映画見たんだけど、時間なさ過ぎてやばかった」と言ったら
「えっ同じ映画をどうして別の映画館で……!?」と驚かれてしまった。
驚かせてごめんね。オタクにはそういうことをしないといけない日があります。
IMAX:アス比が劇中で変わるのどうなんだろうと不安だったんだけど、切り替わりが気になるとかはなかった!
基本宇宙のシーンではIMAXスクリーン全体まで映ってて、地球パートが横長で上下が欠けてるような感じでした。
スクリーンでっけ〜ゆえ超端っこだったけど楽しく見られた!
スクリーンがデカすぎるとIMAXの上映前にある「ほらここからも」って順番にスピーカー鳴らすときに上スピーカーの音が遠いんやね。という発見があった。
SCREENX:270°スクリーンですが全体が映るのは一部のシーンだけです。
宇宙パートのアクションシーンなんかは側面まで映っててかなり没入感がある!
しかしサイドが映ってないときはスクリーンがオフで、映るときは明るくなるので、劇場の明るさが変わる感じで切替時がチョト気になった。SCREENXがどういうもんかはわかったから2回は見ないかな……。
・IMAX上映入場特典A3ポスター、朝一の回行ったオタクが写真を上げてくれていて、ペラ紙で渡されとる!!と思って、劇場行く前にA3ソフトケース買ってから行きました。きれいに保存できて良かった。
エキスポシティの109シネマは丸めて渡してくれてたんだけど、丸めたままリュックに入れたら絶対グチャってたとおもうからさ、上映前に「もらった!!」ってポスターの写真上げてくれてたオタク全員にハグしたいよ。ありがとうございました。
・プイーのTシャツを着ているオタクや、入場待ち列で「火星の人読んでるよ」と同行者と語るオタク、TAGCOFFEEのタグにロッキーグレースと書いているオタクなど、お祭り感があり非常に良かった。公開日に映画見に行ったのって随分久しぶりだな。バトルシップ以来かも。
・上映後、ぱらっとした拍手があって笑った(初日あるある)
〈SFオタクについて〉
公開前、さんざっぱら「プロジェクトヘイルメアリーをネタバレされずに読め」と言っていたオタクには反省して欲しいと思いました。本当に。本気で。
ああいう人たちのせいでSFを読むのってだるいなって思う人が一定数いると思うので(フォロワーにも「周りがうるさすぎてもういいかなって思った」って言ってる人いたし……)
全ての本は、読む人が”時が満ちる”のを待ってくれていて、本を読めるかどうかは外的要因にはまったく関係のないことで、誰も義務で読書をする必要はありません。
他人の読書の順番に口出しをするような品のないことをしてはいけません(グレース顔)
こういう話を書いておくと3年後とかにこのブログ読み返したとき「SFオタクってマジ許せねえ~~~~」と新鮮に怒ることができるため、書き記しておきます。
原作を読まずに見に行って全く問題ないし、SFに興味なくても普通にライアンゴズリングの顔を見に行って良い(あたりまえ体操)
〈原作との相違〉
映像化するとどうしても省略しないといけない要素があるというのは重々承知の上で、フィルロード&クリスミラー監督は、グレースとロッキーの友情物語、バディ物語としてプロジェクトヘイルメアリーを再構成します!という強い意志をもって映像化してくれていて、とても良かったと思います。
ただ、科学考証部分を大幅にはしょったせいで、ロッキーが2回見ただけの、いままで自分の共同体で見たことがない、もしかしたら存在さえ考えなかったような炭素で構成されたぶよぶよした謎の生物が必要とする大気がO2であることを見抜きそれを充満させておくシゴデキ異星人になっていたり、
グレースがトンネルでヘルメットを明ける大馬鹿野郎になっていたりするので、ム~~~!?という点はもちろん残る。そもそもロッキーからするとO2て毒ガスなので、お船に毒ガスの備蓄があったんだ……?などの感覚が発生した
また、グレースがアカデミアを離れる原因になった、”液体の水を必要としない生物”の実在を、ロッキーが証明してくれているんですよ!という点もはしょられてしまっていて、
え~~~~ッバディ映画として再構成するなら、僕ならここを強調して彼らは運命のバディなんです、というのをやりますけど~~~~!?と思いました。方向性の違いフィルロード&クリスミラー監督と解散。(ハナから組んでないよ)
一番ム~~~!?となっているのは、ロッキーが超有能なエンジニアであることがわかりにくくなってしまっていた点だと思います。
すっごい最悪なんですけど、我々は、言葉がつたない相手がつたない知能しか持たないという先入観を持ってしまうことがあり、ロッキーをかわいい~~~と思っている自分は、無意識にロッキーを侮ったり軽んじているということになるのではないかな、と思って、すごく、自分の事が、嫌になりました……これはわたしの話なので他の人は関係ないです。
翻訳について良くも悪くも何度も話題になっているような作品なので、日本語版小説で受け取ったキャラクターの設定などが全部正しい!とは思えないし、どのぐらい翻案しているのか真にわからないのかも知れないですね。
あとね、映画化したことで、『カットされてたけどわたしはこのシーンが好きだった』のお話をたくさん見られて良かったな。わたしはかなり物語の枝葉の部分ばかり気にしているオタクなんだけどそういう人いっぱいいるってわかって嬉しかった。
〈オデッセイとの比較〉
絶対に、この映画は、同作者の映画化作品であるリドリースコット監督作品「オデッセイ(火星の人)」と比較されることを覚悟して作られた作品だと思うんですよね。
そもそも、アンディ・ウィアーが「オデッセイのラストシーンが良かったので、次作のラストに組み込みました」と明言しているぐらいで、
プロジェクトヘイルメアリーのラストシーンはねえ! オデッセイのラストと同じラストになっているんですよ!
いや~~~~~これ本当にすごい話ですよ。だってリドリースコットだよ。絶対に比べられたくないよ。
しかしフィルロード&クリスミラー監督はこう、巧みに、方向性を切り替えて、オデッセイと同じ方向で戦わないよう舵取りをされていた気がします。
そもそも、リアリティラインが違うって言われたら本当にその通りなんだけど、同じラストシーン採用するの怖くなかったのかな……ってちょっと思いました。
20日の夜に、プロジェクトヘイルメアリーの映画を見たオタクとしゃべってて、SF映画って、ガラス一枚隔てられた人たちが、手のひらを合わせたり、額を合わせたりするのが定番演出ですよね。という話が出て、SFというのは、境界線の物語なのかもしれないというのを考えていた。
グレースとロッキーの間には必ず境界線が敷かれており彼らが真に抱き合うことはないんだけど、それでもお互いを思いあうことが出来るし、行動することは出来る、という愛の話だったのかもしれないなと思いました。
実際人間同士でもさ、相手をどれほど愛していたとしても真にわかりあえることって本当にないと思うんだけど、それでも誰かのためを思って何かをすることは出来るし、そういうのって尊いよね。と、2026年の世の中を見ながら思ったわけでした。



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